ちば日記

生まれも育ちも会社も千葉。生粋の千葉県民です。

自転車で稚内から鹿児島まで走った話

今週のお題「わたしと乗り物」

 買ったばかりの廉価版クロスバイク(GIANTのescape R3)を携えて特急「スーパー宗谷」の終点、稚内駅に降り立ったのは丁度10年前の今頃だった。大学3年の夏休み。自転車で日本を縦断するという行為に魅せられて、自転車を買い、バイトの長期休暇を申し入れてここまで来たのだ。

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当時のA5判日記帳 チケットやら何やらが無造作に挟まれたまま残っている

 何の為に?とよく聞かれたが、自分でもよくわからない。別に特段の悩みがあったわけでもない。10年経った今となってはいよいよわからない。しかし今になってもその思い出は胸を熱くし怠け切った自分を叱咤激励する。そんな思い出はそうそうある物ではない。

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 スーパー宗谷の車窓から見る景色は雨に煙っていた。札幌から4時間。札幌駅のキオスクで買った小説を読みながら、そしてウトウトしながら電車に揺られ、稚内に着いた時には雨は止みうっすら晴れ間が見えていた。

 自転車を組み立て宗谷岬に向かう。とりあえず、日本最北端から本州最南端にある鹿児島県の佐多岬を目指すのだ。風に吹かれる記念碑を前に胸は高鳴る。宗谷丘陵を走り、夕暮れの誰もいないエサヌカ線を走り、日本最北の村、猿払村の道の駅に投宿する。付設の温泉に入り、キャンプ場の屋外ステージに買ったばかりの寝袋を広げ、ゴロンと横になる。見はらす限り何もないその場所で、しんとした夜の外気が時折そよぎ顔を撫でた。野宿は初めてだったが、ここまで豊かな眠りを俺は未だに知らない。

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 北海道は5日で駆け抜けた。旭川美瑛富良野と降りてきて、札幌へ抜ける最後の峠では土砂降りの雨に降られた。延々に続くと思われた函館半島の海沿いの道を夕日を右手にひたすら漕ぎ、疲れ果てたらバス停で眠った。積丹の海岸に野宿した時には猛烈な蚊の大群に襲われ顔がボコボコになった。蚊よけネットは意味を成さなかった。これ以来俺は野宿をする時には両手両足の四隅に結界の様に香取線香を炊いて寝ることになる。その時の装備品には未だに香取線香の臭いが染み付いていて、その臭いを嗅ぐ度にこの自転車旅を思い出す。

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 何をそんなに急いでいたのか。一日100km以上漕ぎ、地方の特産等には目もくれず、米食べ放題のチェーン店で犬の様にガツガツ飯を食べた。安い温泉に入り道の駅やバス停で眠った。優雅に観光すればよいのにと思うかも知れない。金がなかっただけではない。特に観光には興味がなかったのだ。ただ何か勲章が欲しかったのかも知れない。北海道から鹿児島まで漕いだんだぞと。やりきったんだぞと。当然そんなもの他人からすれば何の意味もない。もしかしたら、何一つ成し遂げた事の無かった自分に対してそう言ってやりたかっただけなのかも知れない。

 青函連絡鉄道に乗って青森に入り、東北地方をひたすら南下した。会津を抜け日光に入り、日光ではたまたま出会った夫婦に一夜の宿をお世話になった。小汚い、臭い俺を何のてらいもなく迎え入れてくれ、酒を振舞ってくれた温かい夜。そばの大谷川がゴウゴウ音を立てるのを聴きながら久しぶりに布団で眠った。そこへは旅行が終わった後も何度か遊びにお邪魔した。

 金精峠を抜け群馬に入る。中之条の青い夕闇の中、たった一人で自転車を漕いでいると日光での温かい夜が思い出され、ふと寂しくなる。目の前を通る電車に乗った家路に着く人々をみると家族が、恋人が頭に浮かび千葉に帰りたくなったのもこの時期である。

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 乗鞍の延々と続く上り坂を登り切り、白川郷に続く鬱蒼とした天生峠で熊に怯え、そして関ヶ原を超えた。もうその頃には変な感傷にも冒されず、疲労も覚えず一日中坦々と自転車を漕ぎ続ける体力がついていた。

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 その時代、スマートフォン等持っていなかったので、地方が変わる度にその地のツーリングマップルを買った。少し漕いで現在地を確認し、道路の青い標識を見てまた自転車を漕ぐ。マップに記載されている温泉や道の駅等を見ながら、昼過ぎには今日寝る場所を決めた。夜になってから寝床を探すのは骨が折れる。蚊が湧きそうか、人の流れはどうか。そして何よりその地は安全か。それを検証するには昼間でないといけない。

 一度寝床を見つけられずに夜を迎えた事があった。途中のバス停にツーリングマップルを忘れ、俺は現在地もわからず秋田の山奥にいた。道はどんどん登り続け、日はとっぷり暮れ、真っ暗な峠道で心底心細く泣きそうになったその時、道は下りに転じ山間に灯りが見えたのだった。そこは玉川温泉郷であった。寒くて野宿も出来そうになかったのでお金を払い、湯治に来たおじいさん達と一晩だけ部屋を共にした。

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 9月の暮れに最後の土地、九州に足を踏み入れた。リュックに入ったツーリングマップルは6冊を数えた。覚えているのは、九州最深部のいつ終わるともしれない狭隘な薄暗い峠道、阿蘇の絶景、そして佐多岬へとひたすら南下する海岸道路から見た夕日に染まる開聞岳である。九州の山は本当に深くそして先が見えず、鍛え上げられた太腿も悲鳴を上げた。

 そこまで来ると、流石に抜けきらない疲労が澱のように溜まっていた。そんな中大観峰阿蘇の外輪山を一望した時、その美しさを前にして心の底から湧きあがってきた歓喜の爆発は今でも忘れない。宗谷岬から3000kmはるばる自転車を漕いできた自分をこの景色がずっと待っていてくれた様な気がしたものだった。景色は心の裏返しである。あの時、車で来たってこの景色はみることはできないだろうと思ったが、その思いは今でも変わらない。

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 旅行の最中ずっと日記を付けていた。寝袋に入るといつも取り外し式の自転車のライトを口にくわえ、暗闇でいそいそと日記を書いたものだ。その日記にはその日走った行程と出会った人、道中あったこと、自転車を漕ぎながら思ったことを脈絡もなく書いている。雨に打たれ、汗がしみこんだA5判の日記帳はページが抜け落ちてずたぼろであり、字は汚いし、書いてあることは愚にもつかない戯言なのだが、その日記を読み返すと日記を書いていた場所やその時の気持ちまでありありと思い出せるから不思議だ。スマートフォンやパソコンで書く日記には無い、実体というか、ある種の迫力がそこにはある。

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日記の一部 会えるなら言ってやりたい。記録はないが思い出はしっかり残っていると。だから心配せずに楽しめばよいと。

 思えば旅の最中、この記憶というか、思い出を失ってしまうのを酷く恐れた時期があった。カメラを持っていけばもっと鮮明に旅の記録を残せたのに、と後悔した事も数限りない。阿蘇の草千里の景色に圧倒された時、思わず売店インスタントカメラを買い、その後の九州の行程を写真に残したのだが、結局そのカメラの中身は現像されずに俺の机にずっと置きっぱなしになった。元来がものぐさなのだ。結局社会人になって実家を引き払った時、そのカメラもどっかへ行ってしまった。今も時たま思う。現像したらそこにはどんな景色が映っていたのだろうかと。草千里の滲みるような緑は上手く撮れていただろうか。真っ青な海に隆々と浮かぶ桜島の迫力を上手く伝えられていただろうか。

 次に行った旅行では祖父に借りたデジタルカメラで沢山写真を撮った。それこそ取り憑かれたように。その旅行で感じた事は、結局写真を撮っても撮らなくても、思い出は変わらないと言う事だ。写真に撮った所で忘れてしまうものは忘れるし、撮っていなくたって覚えているものはしっかり覚えている。思い出は、写真に撮ったから残る様な簡単なものではない。旅行の実体の伴った写真は後から見返すとほんの一部であり、大多数はただの写真としてしか入って来ない。

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西伊豆 仁科峠 カメラを持っていった南関東の旅行で心底感動した景色の一つ 

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 旅行の最終日、垂水から90kmひたすら漕いで大泊に着いたのは夕方であった。深紅の夕日が開聞岳を照らす。

 大泊から佐多岬までは佐多岬ロードパークと呼ばれる有料道路を通らねばならない。しかし時間が遅かったからかもしれない。ゲートはなんと閉鎖されていた!途方に暮れたが選択肢は一つだった。荷物を満載した自転車をエッコラと持ち上げ、腰ほどの高さのゲートを超え、追っかけてくる人はいないかと後ろを何度も確認しながら自転車を走らせた。そこはヤシの木が並び、密度の濃い木々が鬱蒼と茂る南国の別世界であった。つるっとした宗谷岬とは大違いだ。アップダウンをいくつも超えて佐多岬に着いた時、日は既に落ち、真っ赤な空は徐々に色を失いつつあった。

 そこに達成感はあっただろうか。感慨はあっただろうか。少しはあったのかもしれないが、もう覚えていない。多分着いた瞬間日本縦断をやり遂げたなんてことはどうでもよくなったのだろう。思い出すのは、今まで一心不乱に佐多岬を目指してきた中で出会った人であり、景色であった。ようやく到着したゴール地点で、目の前の岬より今までの過程に思いが向くのも皮肉な話かもしれないが、人生とは万事が万事、こうなのかもしれない。

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 ホテル佐多岬に着いた時には既に日は暮れていた。今日はホテルの前にある大泊キャンプ場で眠るのだ。ホテルの温泉につかり、客が一人もいないホテルのレストランでから揚げ定食を注文する。レストランの店長はから揚げを運んできて、どこから来たので?と言った。俺が稚内から来ましたというと、店長は右腕を垂直に、左腕を斜め下に伸ばし、掌をひらひらさせてにっこり笑って言った。ほう、日本の端から端まで、それは御苦労!

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 その晩酷い嵐だったことを覚えている。風の唸りと時たま顔にかかるしぶきで夜中によく起きた。何回目かに目が覚めると目の前の海が夜明けの光の中優しく波を打っていた。荷物をまとめバス停に向かう。今日は自転車をばらし、バスに乗って鹿児島空港に向かう。いよいよ家に帰るのだ。

 鹿児島空港から家まではあっという間だった。今まで随分遠い所にいたような気がしたが、実際は飛行機で1時間足らずの所を自転車でえっちら漕いでいただけだったのだ。10月の東京はすっかり涼しくなっていた。午後の光を浴びながら京急の車窓からぼんやり東京の景色を見ていると、この旅行が全て夢だったような気がした。家に着くとパソコンから目を上げた母があらおかえりと言った。

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後日撮った自転車の写真 荷物を満載してた為ホイールのスポークはしょっちゅう折れた