ちば日記

生まれも育ちも会社も千葉。生粋の千葉県民です。

人間の愚かさ惨めさを面白可笑しく描く ガリバー旅行記 ジョナサン・スウィフト

みんな子供の頃に一回は読んだ事があるだろう。

 

  小人の国に迷い込みがんじ絡めにされるガリバーはあまりにも有名であるが、その物語は旅行記のほんの一部だけであることはあまり知られていない。医者であるガリバーは家庭にじっとしていられない旅の虫であり、航海中にモンスーンに流されたり、船を乗っ取られて船から放り出されたりし、命からがら陸地に辿り着く。そこで待っているのは高さ15センチの小人であり、巨人であり、空飛ぶ島であり、人間よりはるかに賢い馬が統治する世界である。それらの世界で毎回毎回散々な目にあっているにもかかわらず何とか英国に帰り、彼はまた旅に出る。

 

 

ガリバー旅行記 (角川文庫)

ガリバー旅行記 (角川文庫)

 

 

 

   時は17世紀。インターネットも飛行機もない時代、イギリス人にとってアフリカやアジアに出ることはある意味命を賭けた冒険だっただろう。海の向こう側に待ち受けるものが何者か全く分からなかった時代、ガリバー旅行記のような物語はある種強烈なリアリティを持って当時の人達に受け入れられたに違いない。

 

  物語は4部から構成されるが、ここに一つずつ詳細を記して読者を煩わせることはしない(これはガリバーの口癖でもある)。どの物語にも共通するのは、どこに行っても小馬鹿にされ、どこまでもよそ者であるガリバーの寂しさであり、愚かな人間社会に対する痛烈な風刺である。

   

  第2章ブロブディンナグ(巨人の国)では猿に襲われながらも辛うじて助かったガリバーが、あの時剣で追い払うこともできたのだと国王達に勇気を誇示しようとしても皆笑い転げて聞いてくれない。何をしても小さいというだけで対等に扱ってもらえないガリバーの寂しさが沁みる。 

 

わたしが恐怖のあまり、つい短剣に手を伸ばしていたら、あの箱に突っ込んできた手に切りつけてかなりの深手を負わせ、たちどころに手を引かせることもできたはずだ、ということも付け加える。わたしの勇気が疑われる事があっては沽券にかかわるとばかり、せいいっぱい毅然として述べたつもりだ。それなのに周囲のものたちは、国王の御前という慎みも忘れ、いくら言葉を連ねても声高に笑い転げるばかりなのだ。

とうてい肩を並べるべくもない、圧倒的な相手を前にしては、いくら体面を守ろうと必死になったところで何の役にも立たないことを、わたしはこのときしみじみと思い知った

ガリバー旅行記 ジョナサンスウィフト 訳 山田蘭

 

 そりゃそうだろう。どんなに賢くたって、勇気があったって、身長15cmの小人であれば我々は真剣に取り合おうとしない。可愛いねと言って色眼鏡で見る。それが逆に我々の限界だということも示唆される。

そうかと思えば、ガリバーが必死になって言葉を勉強して、巨人の国王に英国の有様を説明すれば、強欲、不正、欺瞞などの人間の悪習をことごとく見抜かれ

 

お前の仲間の大多数は、自然がこの世に生み出した、地べたを這いずりまわる忌わしくちっぽけな害獣の中でも、もっとも有害な種だと結論づけざるをえない

ガリバー旅行記 ジョナサンスウィフト 訳 山田蘭

 

とこき下ろされる始末である。

 

 一番強烈なのはやはり最終章で語られるフウイヌム国のエピソードである。そこでガリバーが出会った世界で最も醜い生き物「ヤフー」とは何か。「フウイヌム」に心の底から心酔したガリバーが帰国後いかに悲惨で惨めな生活を過ごしたか。トンデモ世界のエピソードが散々連ねられた後語られるのは、世界のありように一番影響を与えるのは結局、己の心であり思想なのだという残酷な事実である。周りの世界は何も変わっていない。だが己の変わり方一つで以前愛していたものも、とことん醜く見えてしまう。環境によって人は変わるが、それによって置いてけぼりにされる人が一番辛い。

 

その他、不死への憧れに対するカウンターパンチや、意味のないように思える突飛な研究に生涯を費やす人達、歴史の不正確さへの糾弾など、興味深いエピソードが満載である。ここまで風刺や社会的メッセージを散りばめながらグイグイ読者を引っ張るリーダビリティを併せ持つ古典も珍しい。章毎に完結しているので時間がある時に細切れに読めるのも良い。特に最終章は必読。